絵で見る創意くふう事典  》 第12章 組織  》 Kリーダーシップを発揮する
 
TOP 編集のねらい 5S 安全 品質 作業 治工具 設備 省力 環境 コスト 事務 IT化 組織 お客様 社会 地域 探訪記 総目次 索引
 
組織‐1212 Kリーダーシップを発揮する BACK

 このページの掲載事例→             ●121201 状況がリーダーシップを促す  
●121202 人心荒廃した会社を建てなおす 
●121203 人が離れていくときリーダーに3つの原因がある
●121204 会社は社長1人で動いているわけではない
●121205 変化への対応力を失った組織を再構築する  
 
【121201】状況がリーダーシップを促す  

■「役職がリーダーシップを生むのではありません。リーダーシップを発揮せざるを得ない状況が人にリーダーシップを促し、それが多くの人を巻き込んでイノベ―ションを起こすのです」万協製薬の松浦信男社長は自分自身の体験からそんなふうに言う。

■万協製薬は神戸で創業した外用薬専門の医薬品メーカーである。1995年の阪神大震災で工場が倒壊。辛うじて製造設備だけが残った。父から社長職を引き継いだ松浦さんは、会社再建への協力を社員に求めたが、誰1人ついてきてくれなかった。社員が次々辞めていき、結局自分1人だけが会社に残り、松浦さんは自分自身のリーダーシップのなさを思い知らされた。

■困り果てて、大阪の中堅製薬会社T社に支援を求めた。T社オーナーは、松浦さんにT社の負債の連帯保証人となってくれることを求め、さらにT社の社長を引き受けてくれることを条件に、辛うじて残った万協製薬の設備を引き受け、従来通りの製品を作り続けてもよいと言ってくれた。松浦さんはT社社長として万協製薬の設備を稼働させて、製造を再開。いったん離れていた万協製薬の元社員も戻ってきてくれた。しかし、販売会社はその製品をあくまでT社製品とみなし、万協製薬の名前を出すことは認められなかった。

T社は万協製薬に対して設備の賃料とコンサルタント料を支払い続けていた。しかし、松浦さんの父がその増額を要求したことからT社オーナーとの関係が悪化。結局、松浦さんはT社社長を解任され、1年の猶予の後に万協の設備による万協製品の製造は打ち切られることになった。

■1年の猶予期間の間に松浦さんと数人の元社員が懸命の努力の末に新しい工場用地を見つけ、新たな工場を建設。期限ぎりぎりで新工場での製造に間に合わせ、そのようにして万協製薬は震災前の状態を回復した。

T社時代、松浦さんは製品に「万協製薬」の名前を残すことにこだわったが、実現しなかった。しかし、自社工場で自社製品を作れるようになってからは、世の中から必要とされるものをつくり続けていけばそれで十分と思えるようになった。自分自身のリーダーシップへの自信も生まれ、社員の意見も取り入れ、従来製品をつくったあとの余力で他社のアウトソーシングを引き受けるようになった。現在は、そのアウトソーシング分野が大きく成長し、会社は順調に発展している。 

取材先 万協製薬
取材  2010/07/17
掲載  リーダーシップ2010/10
本文 bankyo.pdf へのリンク

←万協製薬の工場内部
 
【121202】人心荒廃した会社を建てなおす   


■中央タクシーの宇都宮恒久会長の父は、同業組合から頼まれてあるタクシー会社の経営再建を引き受けた。まだ若かった宇都宮さんが、1事務員としてそれを間近で見たことが、現在の中央タクシーの経営に大きな影響を与えたと言う。

■従業員の人心荒廃ぶりは目に余るものがあった。鬱屈した気持ちを、どこかで晴らそうと、みんな機会をうかがっていた。夏の暑い日、クーラーのない車にランニングシャツのまま乗務しようとした乗務員がいた。それを見つけ「着替えて来い。そうでなければ乗務させない」と言った父に、乗務員は「社長だからってでかい面、するんじゃない」とすごみ、靴ベラを叩き割り、ギザギザに尖った先端を突きつけた。父はひるむことなく彼と対峙した。父と睨み合っていた彼の息が次第に荒くなり、やがて、靴ベラをポイと捨ててどこかに立ち去った。また別の乗務員は、お金を持っていなかった乗客を「無賃乗車だ!」と決めつけ、車から引きずり出し、宇都宮さんが制止するまで、殴る、蹴るの暴行を加えた。

■「ここまでねじまがった人々の心を立ち直らせるには10年かかる。そこまでお前に付き合わせるわけにはいかない」と父から促され宇都宮さんは、この会社を離れ、新たに中央タクシーを興すことになった。

■父は赤字続きの経営の実情を組合の執行委員長に説き続け、赤字を埋めるために自分の財産をつぎ込み、ついに自宅まで手放した。そのことを知った委員長が、上部団体の助言もあって協調路線に転じ、他の従業員も徐々にそれに従うようになった。その後業績が好転。10年を経てようやく赤字を脱した。

■それを見届けて、父は宇都宮さんの兄に社長職を委ね、しばらくして他界した。「父は身を削って再建を果たしました。それは私に正しい経営のあり方を教えるためだったと思えてならないのです」と宇都宮さんは言う。 

取材先 中央タクシー
取材  2011/10/21
掲載  リーダーシップ2011/12
本文  
chuotaxi.pdf へのリンク 
 
【121203】人が離れていくときリーダー自身に3つの原因がある  

■北九州市のスーパー、ハローデイの社長、加治敬通さんが、社外の経営者の勉強会で「あるべきリーダー像」を語り合ってきたときのことである。会社が危機に陥ったとき取引先が商品を入れてくれなくなり、従業員も次々辞めていったことを思い出しながら「経営者って孤独ですよね」と加治さんがふとこぼした。

■先輩経営者の1人がこう答えた。「そうか。キミは辛い経験をしてるんだ。でもな、逃げていく人をさすときどう指をさす?」加治さんが人差指を突き出すと、彼は続けた。

■「そう、そのとき親指と人差指以外の3本は自分をさしているだろう。逃げていった人を悪いと君は思っているかも知れないが、これは、自分にも悪いところが3つあると神様が教えてくれているんだよ。代金を回収できないかもしれない会社に取引先が商品を卸すのをためらうのは当然のことだし、給料を払ってくれないかもしれない会社から従業員が辞めていくのも当然のことだ。でも、そんな会社にも商品を卸してくれる取引先があり、辞めずに働いてくる従業員がいるんだろう。そういう取引先や従業員こそ大事にすべきじゃないか?」

■その言葉は骨身に沁みた。1人で会社を支えているつもりでいたけれど、言われてみると、自分の周りにはこの会社のために働いてくれる社員がおり、パートさんたちがいる。自分は1人ではないと思うと嬉しくて泣けて仕方がなかったと加治さんは言う 

取材先 ハローデイ
取材 2013/11/19
掲載 リーダーシップ2014/01
本文 
halloday.pdf へのリンク

 
 【121204】会社は社長1人で動いているわけではない  
 

■ファミリーイナダは、稲田二千武社長が22歳の時に創業した会社である。創業当初は店の陳列棚などのモノづくりを引き受けてきたが、あるとき、マッサージチェアのボディづくりを引き受けるころになり、その改良を提案したことがきっかけで、マッサージチェアメーカーを共同経営することとなり、やがてその専業メーカーとなって、大きく成長した。自社工場のほか全国7カ所の営業所を持ち、社員250人を擁するまでになった。

■そのことに慢心していた…と稲田さんは言う。自分自身をビジネスの天才と思い込んでいた。そのとき、労働争議・工場火災・手形の不渡りに相次いで見舞われ、銀行から取引停止の宣告を受け、仕入れ先も資材を売ってくれなくなった。1973年、オイルショック前後のことである。

■打開の方策を先輩経営者に相談すると、同じような苦境陥ったある経営者が「最後に死んだ気で頑張りましょう」という奥さんの言葉で奮起したという話をしてくれた。その話は自分には当てはまらない…と当初思った。しかし、先輩経営者と別れ、信号が青に変わって車のアクセルを踏んだ瞬間、そうだ、もう一度最初からやり直してみようとふと思ったという。そして、自分1人で会社を動かしていると思っていたが、あれは間違っていた。社員1人ひとりの支えがあって会社が成り立っているのだ…と初めて気付いたという。

■会社に帰って社員を集め、その前で頭を下げ「苦境を脱するにはみんなの協力が必要なのだ」と説得した。社長がはじめて頭を下げ、社員の意見を聞く気になってくれたことに、社員は驚き、感動し、会社再建への協力を約束してくれた。それを文書にしたためて、みんながそれに署名押印した。

■みんなの署名押印の入ったその文書を持って、幹部社員とともに銀行と取引先を11軒訪問し、頭を下げ、取引の再開を頼んで回った。社員たちも会社を支える気になっていることが、何軒かの取引先を動かし、取引を再開してくれるところが現れ、それを見て銀行も取引を再開してくれるようになり、同社は危機を脱したという。

取材先 ファミリーイナダ
取材 2017/11/27
掲載 リーダーシップ2018/01
本文 family-inada.pdf へのリンク

←マッサージチェアの組み立て
 
 【121205】変化への対応力を失った組織を再構築する  


■渡辺精密工業の高品質ゲージの製作技術は多くの部品メーカーから高い評価を受けていた。しかし、いつしかそのことに慢心し、得意先の要望にきちんと向き合い、改善改革を推し進め、さらに上を目指す空気を失っていた。その結果、バブル崩壊後の大幅な受注減から立ち直れず、赤字が続いた。

■大手企業を退職して4代目社長となった寺西正明さんは、組織の再構築をめざし、次のような手を打った。
@始業前にみんなでラジオ体操を始めた。しかし、参加する社員はごくわずかだった。
Aお客様や協力会社を呼び捨てにすることを禁じた。上から目線で呼び捨てにしている限り、先方のニーズのきめ細かい部分に迫ることはできないし、協力会社を「下請け」と見下していると円滑な協力関係を築くことができないからである。
B世の中の動きに目を向けるために経済情勢や業界動向を伝える新聞記事を回覧した。リーダークラスを対象に所定時間内に輪読会を開催。著名人の名言、他社がどれだけ頑張っているか、プロフェッショナル達がどんなふうに仕事に向き合っているかの記事を輪読し、自分たちの現状を振り返らせた。
C大企業並みだった処遇条件を会社の実力に合わせて見直した。多額の退職引当金積増しが必要になっていた退職金規定を見直し、1人ひとりを個別面談して不利益変更への同意を求めた。

10年ぶりの新しい機械の導入、長く中断していた新卒採用の再開、多能工化・多工程持ちの推進…などによって、会社の中に変化が生まれ、変化を肯定的に受け止める社員が少しずつ増え、営業担当のお客様対応が改善したことで、新たに航空機部品のゲージの受注に成功。力を合わせて作り上げたゲージが納入先と海外の最終ユーザーからも高く評価されたことが、社員に大きな自信を与えた。並行して小集団活動を開始。改善意識を養い、チームワークを高め、リーダーの養成に力を注いだ。

■その後、リーマンショックで再び大幅な売上の減少と、見切りをつけた社員の大量退職を経験した。現在は、会社の未来を信じた社員だけが残り、みんなで危機を乗り越えようと力を合わせて頑張っている。

取材先 渡辺精密工業
取材 2018/03/07
掲載 リーダーシップ2018/05
本文 wsl.pdf へのリンク 

 
↑球面基準測定ゲージ(左)と社員集合写真
 ▲ページトップへ