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i解説 「創意くふう」とは   …
 このページの掲載項目→                          ●1.創意くふうとは何か
 ●2.動物たちも創意くふうする
 ●3.人間の出現と技術の発展
 ●4.生産性向上と資本主義の出現
 ●5.労働者保護と新自由主義
 ●6.グローバリゼーション
 ●7.日本について
 ●8.創意くふう・改善・改革
 ●9.何に向って創意くふうするか
 
1.創意くふうとは何か


このサイトの「創意くふう」という言葉は、197080年代に主に生産現場で行われた「創意くふう提案」からきています。当時の「創意くふう」は「安正早楽」すなわち「もっと安く、もっと安全に、もっと正確に、もっと早く、もっと楽に」を追求して、企業競争力を高め、もっと豊かになろうとしていました。

しかし、1990年のバブル崩壊以降、私たちをとりまく世界は大きく変わりました。グローバル化の波の中で工場は海外に移転し、日本的雇用が崩壊し、非正社員化が進みました。そして、格差の拡大、少子高齢化、人口減少、国内市場の縮小…。人々は未来に夢を描きにくくなりました。もはや「安正早楽」の追求だけで未来が開けるわけではない。それでは、どんな創意くふうが必要なのか。それを探るには、世の中のそもそもの成り立ちから振り返る必要があります。

私たちの周囲には、人々が生み出したモノやサービスを売るために、それへの関心をかきたてようとする情報があふれています。それらに囲まれながら、自分たち自身も日々懸命になってモノやサービスを売ろうとしています。一生懸命お金を稼いで、あるときはそのお金で生活をエンジョイして幸せな気持ちになり、またあるときは、入ってくるお金の見通しが立たず、たまらなく不安になって…。人々はお金によって一喜一憂しながら生きています。世の中すべてお金、といっていい。だから「創意くふう」といえば、お金を稼ぐ工夫だとみんな思っています。工夫してお金を稼いだ人こそが成功者で、それを怠った人は世の中の厄介者…そんな価値観が世の中にあふれています。

しかし、お金がすべてという「今」のあり方は、たまたまそうなっているに過ぎない。世の中はこれまでの人間による無数の過去の積み重ねの上に成り立っている。きちんと順を追って見て行けば、「今」という瞬間の位置づけが浮かび上がり、お金がすべてと思っている自分を客観視できる。世界がどっちに向って動いているのか、その中での自分たちの立ち位置がわかる。そのときはじめて、創意くふうが向かうべき方向が見えてくるのではないでしょうか。

もちろん過去のとらえかたは人それぞれです。100人いれば100通りのとらえ方がある。以下は編者のとらえ方に過ぎません。理解不足やそれによる偏りが多々含まれていると思います。それらは折に触れて修正していくことにして、ともかく今の時点で描ける概略をまとめてみることにしました。

 
2. 動物たちも創意くふうする  


リスのために障害物がいっぱいのコースを作り、その向こうの餌台にナッツを置いて、リスがそれにたどり着けるかどうかを調べる実験をテレビで見たことがあります。実験台のリスは障害物を飛び越えたり、綱渡りしたり、大きくスイングして枝から枝へ飛び移ったり、人間には及びもつかない素晴らしい運動能力を発揮して様々な障害を乗り越えていきました。ゴールの餌台に置かれたナッツまでもう少しのところまできたときでした。それを見ていた2匹目のリスが、スタート台からスルスルと地面に降り、そのまま地面を走ってゴールの餌台の支柱をスルスルと登ってナッツを先取りしてしまったのです。実験者もテレビを見ていた私たちもハッとするような予想外の結末でした。

私たちは欲しいものを手に入れるために、最も近道はどれか、最も有利な手段は何かを考えます。「創意くふう」とは本来そのことを指します。とするなら、動物たちも創意くふうしているということを、テレビの映像はまざまざと見せてくれました。私たちは、いつの間にか、ものを考えるのは自分たち人間だけだと思ってしまっていますが、これを見ると、多くの動物が創意くふうの能力を身につけていることがわかります。植物が光を求めて枝葉を伸ばし、水を求めて根を張るのと同じように、多くの動物も人間も、自分が欲しいもの、望ましい結果を求めてくふうするのです。

くふうをみんなで共有して協力し合えば、より大きな成果を得ることができます。これもテレビでよく見るのですが、ライオンやハイエナは獲物を獲るとき、仲間同士で役割分担します。1頭が獲物を追い、他の数頭が追われた獲物を待ち伏せするのです。「自分はこっちから追う。お前たちは向こうで待ち伏せしてくれ」。1頭の頭の中でひらめいたくふうを、彼らに言葉があるのかどうかわからないから、以心伝心かもしれないけれど、とにかく何等かのコミュニケーションによって共有し、お互いの役割を了解し、みんなでひとつの仕事を成し遂げます。そんな風にして、動物たちはくふうし、役割分担し、協力し合うことで、欲しいものを手に入れている。そう見ていくと、その延長線上で、創意くふうと仲間との協力関係をこの上なく発達させたのが、私たち人間なのだと思い当たります。

 
 3. 人間の出現と技術の発展  

アフリカの森林で樹上生活を送っていた私たちの祖先は、砂漠化が進んで森林が消失したとき、草原に降り立ち、直立二足歩行を始めました。直立二足歩行によって手が自由になり、道具を使うことが可能になった。また、直立二足歩行は、大きく重い脳を支えることを可能にし、欲しいものを手に入れるために、どんな手段を選択すべきか、いろいろと考えをめぐらせるようになった。仲間と協力すると手段の幅がひろがることもわかってきた。だから、自分を抑えて仲間と協調する。道具を使えば仲間の間で役割分担がもっと進む。そして、役割分担が正確なコミュニケーションの必要性を生み、それが言葉を生んだのだろうと思われます。

森を出た人間の祖先は、何百万年も続いた狩猟採集生活の果てに、農耕生活にたどりつき、ひとつのところに定住するようになりました。土を耕して収穫を得るには耕す道具が要る。収穫物を貯蔵する容器も要る。灌漑工事も必要になる。それが道具と技術を発展させ、協力関係を高度化させました。協力の規模が何十人、何百人、何千人と広がって、集落が大きくなり、都市ができ、国ができ、文明が生まれ、文字が生まれました。文字の出現によって経験・知識・技術が蓄積し交換できるようになり、技術の発達に加速度がつきました。
    

 
4.生産性の向上と資本主義の出現  


協力関係制を維持向上させるには、集団の意思をひとつにまとめるリーダーが必要です。集団の中で最も力のある者、そして、みんながそれを認め、この人物にならついていけるという徳と権威を兼ね備えた者がその役割を担い、王になった。彼は武力によって他のメンバーを支配するとともに、豊かさを分け与え、心服させて支配を安定させました。だが、それに失敗すると、被支配者が支配者に取って代わろうとして争いが起こった。あるいはより強力な集団が現れて、それに攻め込まれた。私たちが学校で習った歴史のかなりの部分は大雑把にいうとその繰り返しでした。その争いの傍らで、多くの人々は土地を耕し続けていました。

人間が最も多くの創意くふうを注いだのは、おそらくは農業の分野です。それが積み重なって技術は少しずつ向上し、小さな労力で大きな収穫を得られるようになった。すると、その技術を一足早く手に入れた者とそれに遅れた者との間に生産力の格差が生まれます。大きな生産力を手に入れた者は、遅れをとった者に乞われて収穫の一部を融通したででしょう。彼はそれと交換に土地を借金のかたにとったに違いありません。その借金が返せなければ土地は取り上げられた。土地を奪われた者は小作や農奴に転落します。生産性の向上は、一方で富を生むと同時に、他方では省力化、省人化を促し、失業を生みます。土地を失い仕事からあぶれた人たちは、自分自身の労働力以外何も持たない状態で農村を離れ、仕事を求めて都市に集まります。彼らこそ最初の労働者でした。そうした労働力の蓄積が産業革命につながったのです。

そうした労働力を集中することによって人間は地下資源を掘り出し、新しいエネルギーを手に入れ、生産性をさらに飛躍的に高めました。それが、富農や工場経営者など、商工業者の地位を押し上げ、やがて武力によって支配者の地位を手に入れていた王や貴族を圧倒する力を持つようになります。商工業者は、モノを生産して、それを売ることで利益を得ます。彼らのビジネスがモノやサービスの自由な交換というルール(法)を前提にしていることから、それを保証する「自由と民主主義」という価値観が彼らの支持を得ました。その価値観が民衆に浸透して市民革命を引き起こし、王制は終わりを告げました。

「自由と民主主義」は、ほとんどの人がそれに異論を唱えることのない、普遍的な価値観です。その下で、商工業が発達し、会社という単位での協力関係が生まれました。資本家が資本を提供し、彼らの委任を受けた経営者が労働者を雇い入れ、物やサービスを生み出し、それを売って利益を得ます。会社が目的を達成するためには、大勢の労働者が必要です。

「自由と民主主義」の下で、経営者と労働者は法的に対等な立場で労働契約を結びます。しかし、生産手段を所有する経営者と自分自身の労働力しか持たない労働者は法的に対等ではあっても、選択の幅に格差があります。今日仕事にありつかないと明日を生きられない労働者はどうしても目の前の仕事が欲しいのに対して、多くの経営者には目の前の求職者が気に入らなければ見送って次に来る者を待つだけの余裕がある。そんな中では労働条件はより大きな経済力を持つ経営者の主導で決まります。そして、一旦合意に達すれば、その合意の範囲で、経営者はどんな仕事でも命じることができる。経営側の都合で解雇することもできる。近代国家は法と警察力によってその合意に強制力を与えました。そして、経営者が労働者に支払った賃金は、回り回って労働者が作り出した物やサービスの購買力となり、それが企業を永続させ発展させる。資本主義は、自由で、法的に平等で、賃金のために働き、その賃金で商品を購入する労働者を必要とし、それを大量に作り出したのです。

 
 5.労働者保護と新自由主義  
 

資本家は利益を最大にするために、コストを最小限に絞り込もうとします。企業にとってコストとは、労働者に支払う賃金と外部から調達する原材料や設備やサービスの購入費です。そして、外部からの購入費も、同様にその企業が労働者に支払う賃金と外部購入費ですから、全体では、すべてのコストは労働者に支払う賃金ということになります。資本家と経営者にとっては、売上の拡大を図るとともに、賃金を低く抑えながら1人ひとりから最大限の働きを引き出すことが、利益を最も大きくすることになる。その結果、資本主義の初期段階では低賃金、長時間労働、危険と隣り合わせの過酷な労働環境の下で、多くの労働者が自分の命を削るような過酷な労働が強いられました。

これに対抗して労働者は団結し、資本家や経営者と交渉して譲歩を迫りました。その結果、多くの国で、長時間労働や女性や子供を危険な労働環境の下で働かせることを規制するルール(法)が作られていきました。イギリスで工場法が生まれたのは1833年、日本では1911年のことです。

ロシアでは、その段階を一挙に飛び越えて、労働者と農民が革命を起こし、皇帝と商工業者を排除して労働者階級が独裁する社会主義国家、ソビエト連邦(ソ連)をつくりました。1917年のことです。ソ連を頂点とする社会主義体制は、その後東欧諸国に広がりました。だが、革命から74年後の1991年、突然に崩壊消滅します。労働者が主人公となる国家をめざしたはずだったのに、そこでは民主主義は行われず、出現したのは官僚独裁の国でした。必要なものを必要なだけ作るという計画経済の下では自由な起業は許されず、競争原理が働かなかった。そのために、生産性は向上せず、みんな20世紀初頭の貧しさのままだった。それとは反対にアメリカ、西欧、日本などの資本主義諸国は豊かな生活を送っていた。そのことをテレビが映し出し、資本主義諸国が自分たちよりもはるかに豊かであることを知った民衆が、社会主義体制からの決別を選択したのです。

話は少し戻ります。社会主義国家の出現は、資本家が労働者からの搾取を強めると、労働者は結束を強め、社会主義革命を起こし、資本主義体制が崩壊することを、誰の目にも明らかにしました。革命が起きると資本家は何もかも失ってしまう。だから、何よりも革命を恐れた。そこで、資本主義諸国は体制を維持するために、労働者が団結して自分たちの地位向上のために資本家と交渉する権利を認めることにし、経営者の解雇権を制限するようになりました。さらに、所得や資産に課税して富裕層に集中していた富を再配分し、社会保障制度(失業保険、健康保険、年金など)を整備し、多くの公的サービス(交通、通信、医療、教育など)が無償あるいは安価な料金で受けられるようにしました。こうして福祉国家が出現しました。資本主義諸国は、革命を回避し体制を維持するために、国家として徴収した税金の中から大きなコストを支払う道を選択したのです。

資本主義体制下では、人びとは自由に会社を起こすことができます。企業は自由に競争して、安くて品質のよいものやサービスを生み出すことで、顧客を取り込もうとします。その競争の中で改善改革が進み、生産性が向上し、1人が処理できる仕事の量は徐々に増えていきます。ところが、資本主義体制を維持するために労働者階級を保護する政策の下で始められた様々な公的サービスは、競争のない独占状態の中で運営されます。競争がなければ、働く人たちには、仕事を失う心配がない。決められた通り、時間から時間まで働くだけです。すると、社会主義体制下と同じことが起こります。いつまでたっても、生産性は向上していかない。彼らの賃金はみんなの税金で支払われているが、競争の下にある民間事業の生産性が年々向上していくのに比べると、公共事業は相対的に高コスト化していきます。

そんな中で、一部の資産家や保守主義者たちは、富裕層の負担によって社会福祉がすすみ、国の財政負担がどんどん膨らんでいくことに不満を募らせていきました。1970年代半ば(イギリスのサッチャー政権時代、アメリカのレーガン政権時代、日本の中曽根政権時代)以降のことです。彼らはそうした政策が自分たちの取り分を不当に圧迫しているとし、それが彼らの事業意欲をそぎ、経済の成長を阻害していると主張しました。そして、富裕層への減税を求め、さらに過度の労働者保護政策を見直し、自由な競争に委ねることで、国の財政負担を小さくすべきだと主張しました。そうすれば、経済はもっと成長し、富裕層が稼ぎだした富は貧困層にまでしたたり落ち(トルクダウン)、みんながもっと豊かになれるというのです。その主張は、社会主義体制が崩壊し、革命の危険が遠のいた1990年代から一層勢いを増しました(参考文献:デヴィッド・ハーヴェイ「新自由主義」2007)。

「新自由主義」と呼ばれるこの主張に沿って、多くの国で労働者階級の求めに応じて築かれてきた福祉重視の政策が次々と変更されていきました。税金は所得や資産に課税する直接税から、消費に課税する間接税に重点を移し、解雇制限をはじめとする労働者階級に対する様々な保護政策が見直され、多くの公共事業が民営化され、自由な競争を妨げていた様々な法的規制が次々撤廃されていきました。労働者を守ってきた政策が徐々に後退し、「貧困は自己責任」という主張が次第に大きくなっていきました。コスト競争が激しくなり、企業はコストを引き下げるために、組織の中核を担う人材だけを残して、それ以外は、必要な時だけ雇用し、必要がなくなったら解雇できる形の労働力を求めるようになりました。それが雇用の安定と労働者の生活の安定を失わせました。

 
 6.グローバリゼーション  
 

商取引は相手が約束を守ってくれることで成り立っています。そのことに保証を与えているのが法律と警察力を持つ国家です。法律と警察力を持つ国家の下では、人や企業は約束を守らなかった相手を訴えて、強制的に守らせることができる。約束が守られなかったことで損害が発生すれば、その損害を賠償させることができる。反対に、その国家の枠組みを外れると約束が守られる保証はなくなります。そこで、資本家たちはさらに利益を拡大させるために、国の枠組みを広げようとし、国外の地域にも自分たちの商取引のルールを認めさせようとしてきました。軍事力を背景に後進地域を植民地化したのです。

世界中のほとんどの後進地域が、20世紀はじめまでに余すところなく植民地化されました。その植民地支配をめぐって2度の世界大戦があった後、民族自決が言われ、多くの植民地が独立を果たしました。先進諸国が植民地支配の不当さを認めたわけでは必ずしもなく、宗主国と植民地の2国間だけで取引するよりも、多国間で共通のルールを取り決めて取引した方が、市場はさらに大きくなり、資本にとって有利であることが分かってきたためです。

第2次世界大戦後の先進資本主義国は、後進国に貿易の自由化と資本の自由化を約束させ、自国企業の取引の場を広げました。企業は後進国に自由に商品・サービスを輸出し、あるいは後進国から天然資源を輸入し、あるいは後進国の土地を買い取って工場を建設し現地の人々を雇い入れ、そこで製品や半製品を生み出すようになりました。人々の教育レベルがそれなりの水準に達していて、先進国に倣って自力で工業化に成功した国は、自由化の恩恵に浴しました。しかし、地理的条件に恵まれなかったり、民衆の教育が進んでおらず、自力で工業化できなかった後進国は、資源の採掘権を売り、肥沃な農地を売り、安価な労働力を売るしかありませんでした。そうした地域で、多国籍企業は後進地域の肥沃な農地を買い取り、人々に安い賃金でサトウキビやバナナやコーヒーなど単一の換金作物を栽培させ、それを加工して世界中に販売しました。ほとんどの農地を換金作物の栽培に提供した地域では、食料生産ができず、外国から高い輸入農産物を買わなければならなくなり、貧困や飢餓に陥ったと言われます(参考文献:スーザン・ジョージ「なぜ世界の半分が飢えるのか」1984)。豊かな自然の恵みの中で平穏に暮らしていた人々は、貨幣経済に巻き込まれることで、それまでの安定した生活を失いました。

植民地貿易の時代に人やモノを移動させるには、何日も何カ月もかけて、命がけで海を渡らねばなりませんでした。しかし、交通、物流、情報通信技術が発達した現代では、海を渡ることはさほど危険でも大変なことでもなくなりました。多国籍企業のトップが意思決定すれば、人もモノも何時間か何日かで世界中を移動させることができます。ネットワークが張り巡らされているから、情報と資金はそれこそ瞬時に移動します。人間の動きがスピードを増し広域化した分だけ、富の集中とその反作用としての貧困化は加速度を増しています。いま、世界の上位62人の大富豪が保有する資産は180兆円に達し、その金額は世界中の下位半分36億人が保有する資産に匹敵するといわれます(国際貧困支援団体「オックスファム」の報告)。

 
 7.日本について  


私たちの国、日本は、欧米による植民地化を免れた数少ない国のひとつです。江戸時代の日本は、250年間、百人以上の大名が統治する領国に分かれ、各大名は互いに争うことなく平和を保ちつつ、それぞれの国の経営に力を尽くしていました。領国経営に失敗すると藩は幕府から取りつぶされたから必死でした。その結果、当時の日本人は欧米先進国にひけをとらないほど識字率が高くなっていたと言われます。鉄砲も大砲も蒸気船も、それを分解して仕組みを理解すると、すぐに自国で作り出だせるほどの技術力を持っていた。

それらを背景に、明治以降の日本は近代化、工業化を成し遂げ、富国強兵にまい進し、欧米先進国に倣って自ら帝国主義国家として振舞いました。朝鮮、台湾、満州を植民地化し、中国を侵略しました。そして、それを阻止しようとしたアメリカと対立し、太平洋戦争を引き起こした。日本軍は1000万人を超えるといわれるアジアの人々を殺戮し、日本人自身もこの戦争で300万人が命を落としました。敗戦によって国土は焦土と化しました。だが、米ソ対立の中でアメリカに沖縄の基地を提供したことの見返りにアメリカの庇護を受け、1980年代には世界第2の経済大国と呼ばれるまでの奇跡的な経済成長を遂げました。

しかし、冷戦の終結、アメリカの影響力の低下、グローバリゼーションの進展とともに、日本の経済的地位は相対的に低下しています。そして、それにとって代わるように、中国、韓国、台湾、東南アジア諸国が台頭してきています。各国はそれぞれの国民の教育に力を注ぎ、生産性を向上させ、世界銀行が「東アジアの奇跡」(1993)と呼んだほどの経済成長を遂げました。世界銀行は「東アジアの奇跡」の中に日本の戦後の経済成長も含めていたのですが、実際の日本は、この頃から、経済の低迷が深刻化していました。

それまでの日本は世界の工場でした。しかし、グローバリゼーションの中で東アジア諸国が工業力を高め、日本と変わらないモノづくりの力を持つようになってきました。そして、多くの日本企業が人件費コストの安い東アジア諸国に工場を移転させました。そのことが日本の技術の海外移転を加速しました。工場の海外移転は日本的雇用を崩壊させました。国内に残った工場では人件費コストを下げるために、コアとなる人材だけを残して非正社員化を進め、それによって、終身雇用とそれに支えられた高い忠誠心が失われました。

雇用が不安定になり、困窮する世帯が増えました。夫の収入だけでは一家を支えられず、妻も働きに出なければならなくなりました。だが、夫婦がともに働きながら子供を産んで育てる環境が絶対的に不足している。それが非婚化と少子化を加速し、人口減少を招き、国内市場を縮小させている。その一方で、現役を退いた高齢者の割合が増え続けています。その高齢者世代に投入される手厚い社会保障費(年金、介護、医療)が国と地方の財政を圧迫し、子や孫の世代に残す借金はGDPの2倍を超えてしまっている。さらに、政府の中央集権政策が東京一極集中を生み、それ以外の地方の活力を奪っている…など、今、この国を取り巻く情勢は厳しさを増しています。

 
8.創意くふう・改善・改革  
 

木と石の鍬(くわ)で畑を耕していた人間が鉄の鍬を使い始めた時、あるいは人力や牛馬の力しか知らなかった人間が蒸気機関を動力として使いこなせることを知った時、生産力は飛躍的に向上しました。電動機、電話、テレビ、パソコン、インターネット、POSシステム、産業用ロボット、NCマシン、CAD/CAMシステム…などが世の中に登場したときもそうでした。新しい技術やシステムをいちはやく使いこなした企業は、競争相手を圧倒する力を手にします。イノベーションが生産性を高め、企業の競争力を高めます。

そのために、力のある企業は研究開発に投資し、イノベーションを起こすことにしのぎを削ります。イノベーションは生産や販売の仕組みを変え、企業にとって必要な人材も人数も変化します。それに合わせてその都度組織を再編成し、新しい枠組みの中でムリ・ムダ・ムラのない最適の仕事のすすめ方を見つけていくことが必要になります。これが1970年以降の日本企業で行われてきた「改善活動」です。「イノベーション(革新、改革)」は経営者、あるいは経営者を補佐し経営者の視点から企画開発を担当するスタッフが担当します。それによって新しい仕事のすすめ方に変えたときに現場のどの部分にどんな問題が生じ、それをどのように解決したらよいかは現場の方がよくわかっている。そこで終身雇用制の下で良好な労使間関係を築いていた日本の工場では、現場の労働者が「改善」を進めてきました(参考文献:今井正明「カイゼン」1988)。

「改善」は問題点や不具合を見つけることから始まります。そのための仕組みが「創意くふう提案」です。労働者は当初、提案だけが求められ、それを実施するかどうかの判断は、経営者とその意向を受けた管理者の側で留保されていました。だが、大勢の労働者から、たくさんの「創意くふう提案」が出てくると、経営者と管理者だけでは処理しきれなくなった。そこで、そのアイデアが間違いなく「安正早楽」に結びつくこと、実施に大きなコストがかからないこと、アイデアの実施が組織や人事に影響を与えないこと…などの条件のもとで、労働者に「創意くふう」の実施まで求めるようになりました。19701980年頃からのことです。 

このころ「創意くふう提案」が急速に増えたのは、QCサークルなどの小集団活動が始まったからです。アメリカからもたらされたQC(品質管理)の考え方に沿って、感覚ではなくデータに基づいて判断すること、現象を層別して把握すること、大きな問題から順につぶしていくべきこと…など、問題解決の方法論がQC手法としてパターン化され、その手法を使って職場ごとに編成された小集団が改善活動を始めました。職場のみんなで問題を発見して改善を提案し、それが採択されて改善が計画され(Plan)、改善し(Do)、結果をチェックし(Check)、標準化する(Action)。全員でPDCAを回しながら、「もっと安く、もっと安全に、もっと正確に、もっと早く、もっと楽に(安正早楽)」を追求したことで、当時の日本製品は安くて高品質を実現したのです。

「改善」は「創意くふう提案」として「何をどう変えたか、それによってどんな効果が得られたか」を紙に書いて提出します(現在はほとんど電子化されているでしょうが…)。それに基づいて作業標準が書き換えられます。その積み重ねによって現場の仕事のすすめ方、作業の方法は、標準化が進み、ムリ・ムダ・ムラのない精緻なものになっていき、やがて人間が行なってきた仕事のかなりの部分は機械に置きかえることが可能になります。日本の工場が海外に移転したとき、そうした改善の成果ももちろん一緒に移転しました。その意味で海外工場は最も効率的な生産方法からスタートすることができた。その上に人件費が一桁以上安かったから、海外工場は日本の国内工場を圧倒するだけの力を持ったのだといえます。

 
 
9.何に向って創意くふうするか  


改善とは、一言でいえば、ムリ・ムダ・ムラをなくして能率を実現することです。改善活動はそのための手法を定型化し、組織全体に拡げ、さらにはこの国の産業界全体に普及しました。後に、度重なるリストラによって日本的雇用が崩壊し、企業への忠誠心が薄れて今は下火になりましたが、それでもその習慣は私たちの中にしっかり根付いており、個人でもグループでも仕事を進めるときには欠かせない基本的な手法となっています。

問題は創意くふう・改善・改革を何に向けていくかです。時計の針を元に戻すことはできません。この国が再びかつてのような世界の工場に戻ることはないでしょう。今は、ものづくりの次の時代を切り開く創意くふうが求められています。時代は第2次産業中心の時代から第3次産業中心の時代に移行しており、創意くふうの重点は「安正早楽」から「顧客満足」に移っている。お客様の関心を引きつける工夫、もっと喜んで貰う工夫、繰り返し利用してもらう工夫、固定客になってもらう工夫…がもとめられ、それに向かってみんながしのぎを削っています。だた、私たち自身の心の内側をみつめれば、本当に求めているのは、単なる便利さ、快適さ、美しさ、優雅さ、おいしさ、かっこよさ、面白さ…だけにとどまらないことに気が付きます。閉塞感の漂う今の時代の有様に、きちんと向き合い、何らかの答えを出そうとする企てを待望する気持ちがどこかにあり、それを応援したいという気持が大きくなっています。

今の世の混沌とした様相に立ち向かうキーワードが2つあります。ひとつは「循環型社会の創出」です。これ以上にモノを作ってCO2を増やすことのできない地球環境の中で、ものを大切にして環境を守ろうとする企てには惜しみない拍手が送られます。もうひとつは「格差の是正」です。新自由主義とグローバリゼーションによってもたらされた格差の拡大を、そのままでよいとは思っている人はほとんどいないでしょう。希望の持てない生活を強いられる人々が増えれば社会は不安定化する。その影響はやがて自分たちや子どもたちや孫たちに及んでくる。その不安がぬぐえないから、どれほど華やかな演出を凝らして人々の気持ちを盛り上げようとしても、どこか嘘っぽくて、モノは売れていかず、この国はデフレから脱却できない。

今の世の中を覆う問題の解決が、目の前の単なる便利さ、快適さ、美しさ、優雅さ、おいしさ、かっこよさ、面白さ…の追求よりもはるかに大きな意味を持っていることに、人々は漠然と気づいています。その一助になろうとする企てには、自然と注目と賞賛が集まります。たとえば、社会的弱者に積極的に仕事を提供していこうとする試み、処遇における差別をなくし、人々のやる気と能力を最大限に生かそうとする試み、後進地域の人々の生活を改善しようとする取り組み、過疎化に悩む地方に新しい活力を生み出そうとする取り組み…等々。多くの人と企業がそれに向かって力を結集し、挑戦しています。それらをひとつひとつ追いかけてレポートし、これからの創意くふう、改善、改革の形を探っていきたいと考えております。

 (2013/5/24作成、2016/7/14改訂)

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