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ネット版 改善改革探訪記 №261
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東京湾を埋め立て京浜工業地帯の端緒をつくった「九転十起」の人

 浅野総一郎事績探訪記


浅野総次郎翁(18481930)は、何度も失敗して何度も立ち上がり「七転び八起き」ならぬ「九転十起」の人と呼ばれた。故郷の富山県氷見で、縮帷子の製造販売、醤油の醸造、稲扱きのレンタル、氷見針の行商など、様々な事業を興して、何度も失敗し多額の借財をつくったが、そこから、事業のコツをつかみ、困難に立ち向かい、あきらめずに成功への道を探る強い精神力を身につけた。

23歳で東京に出た。水売りや竹の皮の行商から始め、次いで、薪炭、石炭など、少しずつ単価の高い商品を扱うようになり、深川の工部省セメント製造所に出入りするうちに、石炭を燃やした後にできるコークスを石炭と粘土と一緒に焼くとセメントができることを知った。そのことに関心を寄せた渋沢栄一のために、渋沢が経営する東京ガスで発生したコークスを、同じく渋沢の経営する王子製紙で燃料として利用する道筋をつけた。

以来、渋沢の知遇を得て、石炭商として事業を発展させるともに、工部省セメント製造所の払い下げを受け、東洋汽船を創業。アメリカに渡ってサンフランシスコ・香港間の航路権を獲得。太平洋定期航路の運航に参入した。

総一郎はさらに、欧米の港湾が埋め立てられ、大型船が接岸できるように整備されていることを知り、政府と神奈川県に品川湾埋立計画を何度も提出した。しかし、受理されず、その計画を聞いた安田銀行の創設者、安田善次郎が賛同し、安田から資金提供を受けて、鶴見埋立組合を設立した。1913(大正2)年から1927(昭和2)年まで、15年をかけて、総工費350万円を投じ、鶴見から川崎まで150万坪を埋め立てた。これが、その後の京浜工業地帯の端緒となった。

 
●本文 → 
asano-soichiro.pdf へのリンク
●参考文献 出町譲「九転十起」(幻冬舎2013)/新田純子著「その男、はかりしれず」(サンマーク出版2000)
●掲載先 → リーダーシップ 2024年1月号
(発行元・日本監督士協会のURL:http://www.kantokushi.or.jp/


浅野学園(横浜市神奈川区新子安)内の浅野総一郎像画像クリックで本文表示



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