絵で見る創意くふう事典  》 提案の心と創造の心 序章
 
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i  … 揖斐昇 著
提案の心と創造の心


―トヨタ創意くふう活動と私の15年

書籍版:1987年8月25日 創意社刊
 
 序章 私と創意くふうの出会い     
              このページの掲載項目 .意外な配転命令
提案が好きになれない
 
1. 意外な配転命令

1972年というと、ちょうど高度成長から低成長に移り変わる節目となった第一次オイルショックの1年前のことです。そのときから私はトヨタ自動車の創意くふう活動の事務局を担当することになりました。

「創意くふう」というのはトヨタでは改善提案のことを一般にそう呼んでいます。社長から委嘱された役員を委員長とし全工場長、部門長で構成する「創意くふう委員会」という組織があって、その委員会を中心に従業員の創意くふうを奨励し、積極的に評価し経営の中に生かしていこうというのが創意くふう制度ですが、私はその事務局として創意くふう制度運営の実務を担当することを仰せつかったのです。

提案事務局は一般に人事、教育、技術といった部門に置かれることが多いのですが、トヨタ自動車の創意くふう事務局は伝統的に製造部門に関連性の高い生産技術部門に置かれていました。

これは、トヨタの提案が単なる労務管理の手段としてよりもタイムリーに改善を押し進め安くて良いものをつくるという、より実質的なものにウエイトを置いてきたことの表われだと思います。

そういうわけで、私の前任者もその前の人も生産技術部門に籍を置いていました。しかし、私の場合だけちょっと違ってたのは、当時の創意くふう委員長であった豊田章一郎専務(後に1982-1992社長、1992-1999会長)が技術部門を担当されており、そのために事務局は技術部門に属する特許管理部に籍を置くことになったことです。それまでの私は、事務のスタッフとして生産管理部門で資材購入や在庫管理に携わり、ちょうど社内で完成された「かんばん方式」を協力企業に指導し、導入定着させるという業務に携わっていました。たまたまローテーションの対象者が2人あって、そのうち、もし配転があるとしたらきっと営業畑だと思っていた私が提案に、もう1人のおよそ営業向きでない非常に個性の強い方が営業部門に配転を命じられたのです
「間違いではありませんか?」

と私は上司に尋ねたものでした。が、間違いではなく、それ以来、私は係長として部下5名と一緒に特許と提案の仕事を担当することになりました。

 
 
2.提案が好きになれない  

事務職ではありましたが、納入メーカーや現場の人たちとの緊密な人間関係の中で仕事してきた私には、特許や提案という仕事になかなか興味が持てず、自分はこの仕事に適性がないという思いがずっと胸の中にいすわり続けていました。
とりわけやりきれなかったのは、特許や提案の義務の大半が1日中書類の山に埋れながら法律や規則・規程・基準の一言一句に従って書かれたものをあてはめていくという、味気なく、しち面倒くさく、およそ人間とのかかわりの薄い事務作業であったことです。とてもじゃないがこれはたまらないと思いました。
ケ月ほど経った頃思い余って、「実はこの仕事は向かないので変えてほしい」と特許管理部長に申し出たほどでした。
「いい歳をして、たった3ケ月でダダをこねられては困るよ。キミを推した私の立場も考えてもらわないと…。まあ様子がわかってくればそのうちに慣れるさ」
 となかば呆れ顔でたしなめられましたが、それでも、まだしばらくは提案の事務局はつまらない仕事だと思っていました。
どんどん競争させて、提案を出させて、賞金を払っていくだけの仕事です。毎月、月末と月初は若い女子社員と一緒になって月々の何千件分かの賞金を金種を揃えてダブルチェックして袋詰めし、トランクに入れ、保険をかけ、工場まで運ぶわけです。明けても暮れてもそんな仕事に追われて時間が過ぎていきました。

 

どんな仕事でもそうですが実力がないと肩身の狭い思いをします。現場で3年も5年も体験を積んだ若い工場事務局から突き上げられる事もしばしばでした。
「揖斐さん、なぜ審査表彰基準を改定しないのですか」
「審査の事例集をぜひ出して下さい」
実力があれば簡単なことなのですがそれがなくて、いい歳をして若い人にさまざまな要求を突きつけられるのは大変な苦しみです。その上に毎月毎月繰り返し繰り返し事務処理に追われます。
特許の方はというと、全くの素人ですからまず法律の知識を詰め込むところからはじめなければなりません。上司から分厚い法律書をいただいて一週間、他のことを何もかも忘れて講習会に行ったことがありました。最初は前の席に座っていましたが、どうしても興味が持てず、後は新聞を見ながら居眠りをしている始末でした。
ここでの仕事は私にとって、常に不似合な、興味が持てないやりきれない仕事でした。そんな私に提案へのやる気が頭をもたげてきたのは、後に述べるように1年ほど経過して現場の人達と親しく交わる機会を持ってからのことでした。

 
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