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ネット版 改善改革探訪記 224
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日本最大級銅山の開拓と近代化を推進した人々ut

 別子銅山記念館探訪記


愛媛県新居浜市の別子銅山は1690年に発見され、1973年の閉山まで283年間にわたって住友家が経営に当たり、65万トンの銅を産出。この国の近代化に大きく貢献した。

江戸時代には、標高1300mの山中に数千人が入り、銅鉱石を人力で掘鑿。山中で選鉱。薪で火を起こして蒸し焼きにして硫黄分と鉄分を分離。「荒銅」にして運び出し、大阪に送って製錬した。

地中深く掘り進むうちに銅品位は次第に低下した。湧水によって掘り出すことが困難になり、生産性が低下。後に住友の初代総理事となった銅山支配人・広瀬宰平(1828-1914)は、明治の初め、フランス人、ルイ・ラロックの意見を取り入れて近代化を推進した。鑿と鎚による掘鑿をダイナマイトと鑿岩機に代え、巨大な斜坑を掘って巻上機で銅鉱石を地表に搬出。鉄道を敷設し、蒸気機関車で銅鉱石を新居浜市街地まで運び、そこに建設した製錬所で製錬を始めた。

これにより銅の産出量は飛躍的に高まったが、製錬過程で発生した亜硫酸ガスが新居浜の農産物に深刻な被害を与えるという事態を招き、その解決が第2代総理事、伊庭貞剛(1847-1926)に委ねられた。伊庭は新居浜の沖20キロに四阪島製錬所を建設。亜硫酸ガスが海上で雲散霧消することを期待したが。被害は逆に東予地域全体に拡散した。問題解決は問題発生から47年後、亜硫酸ガスを硫酸に転換して回収する技術、さらにアンモニア水で中和する技術の確立まで持ち越された。

この山の開拓と近代化の過程で、多くの人の知識と技術が結集され、そこからあらたな鉱山事業、化学工業、製鉄業、機械工業、土木植林事業、さらには金融保険事業などが生まれた。それらは現在の住友グループ各社の事業につながっており、その原点を確認するために、ここ別子銅山記念館には、グループ各社の社員が毎年研修で多数訪れるという。

●本文 → besshi-douzan.pdf
●別子銅山記念館のURL → 
https://www.sumitomo.gr.jp/history/related/besshidouzan/museum.html
●掲載先 → 
リーダーシップ 2020年2月号 
(発行元・日本監督士協会のURL http://www.kantokushi.or.jp/



別子銅山記念館の外観。写真クリックで本文表示


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