絵で見る創意くふう事典 》 第14章 社会 》 @地域に奉仕するボランティア活動に参加する | ||||||||
TOP 編集のねらい 5S 安全 品質 作業 治工具 設備 省力 環境 コスト 事務 IT化 組織 お客様 社会 地域 探訪記 総目次 索引 | ||||||||
社会‐1401 @地域に奉仕する | ![]() ![]() |
|||||||
|
||||||||
このページの掲載事例→ | ●140101 被災地を救援する | |||||||
●140102 清掃奉仕活動とフリーマーケットを展開 | ||||||||
●140103 地元の信頼向上をめざして道路を清掃する | ||||||||
●140104 冬物衣料と毛布を被災地に送る | ||||||||
●140105 本社前で「びわこ祭」を開催する | ||||||||
●140106 社会貢献に力を注ぐオフィス用品会社 | ||||||||
●140107 「こどもミュージアムプロジェクト」を展開する | ||||||||
●140108 モンゴルの少年のために義足をつくる | ||||||||
●140109 在所に惚れよ | ||||||||
●140110 貧困のない社会をめざす | ||||||||
●140111 街並み保存に協力する | ||||||||
【140101】 被災地を救援する | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
■1995年1月17日、神戸が震災に襲われた翌日、七福醸造(愛知県安城市)の犬塚敦統社長は「社員と一緒に片づけを手伝いに行きたい」と神戸市役所に電話を入れた。「余震で二次災害が起きても責任が持てないから…」と断られたが、「ウチは食品会社だから炊き出しを手伝いたい」と再度申し入れ、「それなら来てください」ということになった。 ■500人分の食材と必要な道具を揃えて4人が車で出発。現地で味噌汁、うどん、豚汁を作って避難所に配った。夜は寝袋で睡眠をとりながら社員たちは毎日調理に当たり2泊3日の滞在の後次の社員と交代。常時10人くらいの社員が現地で滞在した。 ■救援活動は38日間に及んだ。当初の1日500食の炊き出しはその後1日3600食、8000食と増え、このための経費は1200万円に達した。幹部が「社長、もう終わりにしましょう。このままでは会社が持ちません」と進言したが、犬塚さんは「まだまだ困っている人がいる。ここで手を引くわけにはいかない」と言い続けた。 ■社員の2割を常時救援活動に割いたことで、生産は低下し、それを回復するのにかなりの時間を要したが、売上は逆にいつもより8%増えた。救援活動のことはお客様には知らせていなかったから、それがPR効果を発揮したというのではない。これは天がやれと命じたことだと犬塚さんは考えている。 ■「お金よりも大切なものがある」という犬塚さんの本音と建前が同じであることを、この活動を通じて社員は理解した。「人というのは誇りで動くものです。誇りがあるからウチの社員は一生懸命働くし、人を幸せにすることに命をかける。これが広がればこの国はもっとよくなる」と犬塚さんはいう。 取材先 七福醸造 |
||||||||
![]() |
||||||||
【140102】地域の信頼を目指して奉仕活動を展開 | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
■その一環として、毎月1回道路の清掃奉仕活動を実施している。さらにトラックで古紙を回収しロールペーパーと交換。収益金は緑化基金に寄付している。ASA栃木中央から始まったこの活動は後に栃木県の新聞販売店全体で実施している。 ■さらに、年1回フリーマーケットを開催。収益金の一部を地域の盲導犬教練所に寄付しており、この活動は、後に埼玉・栃木・群馬の朝日新聞販売店全体で実施している。 取材先 ASA栃木中央 |
||||||||
![]() ![]() ![]() ↑清掃奉仕活動(左)とフリーマーケット |
||||||||
【140103】地元の信頼向上をめざして道路を清掃する | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
取材 2011/01/13 掲載 リーダーシップ2011/03 探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki112.html |
||||||||
![]() ![]() ![]() ↑浦和駅前の毎朝の道路清掃活動 |
||||||||
【140104】冬物衣料と毛布を被災地に送る | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
■その一環として「もう着ることはないが、捨てるのは忍びないという衣服がありましたら、お持ちください。福祉施設などで活用させていただきます」と呼びかけ、コート類など2万着の冬物衣料が集まった。そのとき、東日本大震災が起こり、数台のトラックでそれらを被災地に送った。 ■さらに「被災地に毛布を送りたいと思います。使わない毛布がありましたらご提供ください」と呼び掛けると、多くのお客さまがそれに応じて、毛布が集まり、それも被災地に送った。 ■CSR(企業の社会的責任)は、本業から離れた非営利活動によって企業イメージを高めることとされる。しかし、中畠さんはそんなとってつけたようなものではないと思っている。企業活動は本来「善」でなければならない。世の中が本当に必要としている製品・サービスを提供し、社会に貢献することが企業の本来の使命である。その結果として利益が生まれる。そういう企業だけが、何十年、何百年続いていく…と中畠さんは考えている。 取材先 喜久屋 |
||||||||
![]() ![]() ![]() ↑クリーニング工場内部(左)と店舗外観 |
||||||||
【140105】本社前で「びわこ祭」を開催する | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
■また、社員の中に「活性化隊」を組織し、草刈りや清掃の奉仕活動を行なったり、学校の運動会や夏祭りにボランティア参加している。 取材先 びわこホーム |
||||||||
![]() ![]() ![]() ↑びわこ祭(左)と清掃奉仕活動 |
||||||||
【140106】社会貢献に力を注ぐオフィス用品会社 | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
■同社は大日本スクリーンのベンチャー第1号として設立されたが、ずっと赤字が続いていた。そこからの浮揚策を大日本スクリーンの広報担当と相談するなかで、カンボジアへの文具支援をメディアに発表してみたら…とアドバイスを受け、メディアに当たってみると「植木さんこそ社会起業家だ」として紹介してくれた。 ■植木さんはそれに勇気づけられ、全国から集めた中古文具をカンボジアに送り、自らもカンボジアにわたって学校を視察。借金しながら学校建設資金を寄贈し、そのこともメディアで大きく報じられた。 ■やがて「お宅のような社会貢献している会社からオフィス家具を買いたい」という注文が入るようになり、3期目に単年度黒字を達成。8期目までにすべての負債を返済したという。 取材先 カスタネット |
||||||||
![]() ![]() ![]() ↑カンボジアの植木さんと子供たち |
||||||||
【140107】「こどもミュージアムプロジェクト」を展開する | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
■ある人から「トラックが好きやったんやろ。それならそのトラックを生かすことを考えな…」と言われ、ある会社で従業員の子供が書いた安全標語を見たことがきっかけとなって、ドライバーの子どもたちに絵を描いてもらって、それをトラックに貼ろうと思いついた。 ■いま宮田運輸のトラックには子供たちの絵と「パパ、運転、がんばって」や「いつも、安全運転、ありがとう」などの言葉が貼られている。同社ではこれを「こどもミュージアムプロジェクト」と名付け、新聞、雑誌、テレビでそのプロジェクトを知って賛同したトラックが、同じように車体に子供たちの絵を掲げながら、走り始めている。 取材先 宮田運輸 |
||||||||
![]() ![]() ![]() ↑トラックに描かれたこどもたちの絵 |
||||||||
【140108】モンゴルの少年のために義足をつくる | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
■モンゴルの草原で遊牧生活を送っていた少年が、草原火災に遭い、両足を太ももから失った。 ■少年が「もう一度自分の足で草原に立ちたい」と言っていることを知った義肢装具製作会社、中村ブレイスの中村俊郎社長は、治療費・渡航費・滞在費の全額を負担して、少年を中村ブレイスのある島根県太田市大森町まで招き、義足を作り、リハビリまでさせた。 ■少年は再び草原に立つことができるようになった。しかし、馬に乗る遊牧生活への復帰は難しい。少年は、自分も義肢装具士を目指し、将来は中村ブレイスで働きたいと言い、その実現に向けて中村氏はその後も支援を続けたという。 取材先 中村ブレイス |
||||||||
|
||||||||
【140109】在所に惚れよ | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
■こうした思いは後継者にも受け継がれた。伊藤忠兵衛の妻、八重夫人の妹の子で、「伊藤本店」の丁稚となり、後に丸紅商店の専務を務めた古川鉄次郎は、私財60万円、現在の価値にして10数億円を寄付して豊郷尋常小学校を建てた。 ■忠兵衛の姉の子で「紅忠」の丁稚として入り、後に綿花取引や綿業界をリードした田附政次郎は、医学研究財団・田附興風会や、郷里五峰村の文化振興財団・五峰興風会、大阪に帝塚山学院、北野病院などを開設した。 ■さらに、伊藤長兵衛商店に丁稚奉公して6代目伊藤長兵衛の養子となり、後に丸紅商店の初代社長となった9代目伊藤長兵衛は、私財と田畑の大部分を寄付して豊郷病院を建てている。 ■そして、2代目忠兵衛が八重夫人の古希を記念して豊郷町の福利増進と教育・文化の向上のために3万円、現在のお金で6000万円を投じて1918年に設立した豊郷済美会(公益財団法人)は伊藤忠兵衛記念館を管理運営するほか、地域の小学校の冬の除雪機の購入費を負担したり、電子黒板を贈ったり、高校生への奨学金給付などを行っている。また、小学校では忠兵衛の事績を学び「三方よし」について意見を述べ合ったりしている。 取材先 伊藤忠兵衛記念館 |
||||||||
【140110】貧困のない社会をめざす | ![]() ![]() ![]() |
|||||||
■しかし、1人で救済できる人数はごくわずかでしかない。みんなを救済するには貧困を生まない社会を作らねばならないと考えた賀川は、労働運動や農民運動に身を投じて弱者を団結させようとした。 ■併せて、協同組合活動にも力を注いだ。1921年、賀川のアドバイスがきっかけとなって神戸購買組合と灘購買組合が誕生した。 ■2つの購買組合は後に統合され、組合員の主婦たちによる食の安全安心運動などによって兵庫県内に独自の協同組合風土を生み、現在のコープこうべに繋がっている。 取材先 賀川記念館/コープこうべ |
||||||||
【140111】街並み保存に協力する | ![]() ![]() |
|||||||
■さらに大津市街のアーケード街で築100年の由緒ある町屋を取り壊すという話が持ち上がったとき、体験型宿泊施設を運営している(株)自遊人とタッグを組んで、谷口工務店がこの町屋を改修。(株)自遊人に運営を委ね、「近江屋」「茶屋」「鍵屋」「丸屋」「萬屋」「鈴屋」「糀屋」という7棟で構成される新感覚のホテル「講・大津百町」を完成させた。 取材先 谷口工務店 |
||||||||
![]() ![]() ↑大津百町スタジオ(左)とホテル講・大津百町 |
||||||||
▲ページトップへ |