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社会‐1407c 文化を発信する BACKNEXT
 このページの掲載事例→                           ●1407c01 美術コレクションを一般公開する  
 ●1407c02 過疎の町から文化を発信する  
 ●1407c03 お屋敷に和食店を展開する  
 ●1407c04 獣医師の勉強会を組織化・運営する  
 ●1407c05 発明発見の大切さを伝える  
 ●1407c06 技術立国の伝統を子どもたちに伝える 
 ●1407c07 東大に安田講堂を建てる
 ●1407c08 宝塚歌劇を育てる
 ●1407c09 PHPを研究・発信する
 ●1407c10 3つの研究所・美術館・民芸館を建てる
 ●1407c11 在所に惚れよ
 ●1407c12 町並み保存に協力する
 ●1407c13 「箸タイム」の普及をめざす
 ●1407c14 川崎美術館をつくる
 ●1407c15 「京都賞」を創設する
 
【1407c01】 美術コレクションを一般公開する  

■鋳鉄製プーリー製造業、鍋谷バイテックは、織田信長の時代から岐阜で鋳物を作ってきた工房で、現在、その工場は「関工園」と呼ばれている。「工場」というところを「工園」と呼ぶのは周辺に教育施設が集まっている環境との調和を考慮したためだという。

■工場らしくない斬新なデザインの建物の入口を入ると、中は樹木に覆われた公園のようにゆったりした景観が広がり、その中に「岐阜現代美術館」があって、地元出身の抽象画家、篠田桃紅(しのだとうこう)を中心とした作品が展示されている。創業家一族の岡本太一会長のコレクションを一般公開したもの。

■社員でなくても誰でもいつでも中に入って鑑賞することができ、しばしばここでコンサートも開かれるという。同社はここにモノづくりの理想郷をつくろうとしている。

取材先 鍋屋バイテック
取材 2007/07/05
掲載 ポジティブ2007/09
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki044.html


岐阜現代美術館
 
【1407c02】過疎の町から文化を発信する   


■石見銀山の町、島根県太田市大森町は、銀山の閉山後、過疎の町になっていた。義肢装具製作会社、中村ブレイスの創業者、中村俊郎氏は、この町の旧家に生まれ、この町を再び世界に誇れる町にしたいという夢を持ち続けていた。

■中村ブレイスの事業が成長し安定するとともに、中村氏は会社の自己資金で町並みの保存に力を注ぎ、取り壊される寸前だった他地域の歴史的建造物を大森に移築してきた。さらに石見銀山の世界遺産登録にも力を尽くし、2007年に世界遺産登録が実現。多くの観光客がこの町を訪れるようになった。

■現在は、空家になった町屋を買いとって従業員の社宅にしたり、歴史ある静かなたたずまいに魅かれてやってくる町外の文化人や芸術家に町屋を提供。文化人たちは、絵画、工芸作品、音楽、映画など大森を舞台とした作品を世界に発信し、石見銀山の町、大森に向けた人の流れを作り出している。

取材先 中村ブレイス
取材 2019/04/24
掲載先 リーダーシップ2019/07
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki217.html


石見銀山世界遺産センター
 
【1407c03】お屋敷に和食店を展開する  

■がんこフードサービスは1990年、江戸初期の豪商によって建てられた、大阪市平野区の平野郷屋敷を借り上げ、庭園と調度を活かしながら、その中で和食を提供するという取り組みを始めた。

■時代の変化の中で、個人で維持管理することが難しくなったお屋敷を借り受け、和食店を展開することで伝統的建造物の保存に貢献するというこの取り組みは、現在までに関西と関東の9カ所で展開されている。

取材先 がんこフードサービス
取材 2020/06/19
掲載 リーダーシップ2020/08
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouk230



大阪・平野郷屋敷
 
【1407c04】獣医師の勉強会を組織化・運営する   


■動物医薬品メーカーの日本全薬工業は、1969年から「しゃくなげ会」という獣医師の勉強会を運営している。

■獣医学は日進月歩しているが、獣医師たちは獣医学部を卒業するとなかなかそれを勉強する機会がない。そこで国内外の研究者を招いて講演会を開催しているもので、現在は北海道から九州まで11地区に「しゃくなげ会」があり、同社の学術部がその事務局を務めている。

■これらの活動は顧客としての獣医師を囲い込むものだと批判を受けたこともあったが、現在は獣医師の生涯研修を支援する社会貢献活動として評価されている。

■同社ではこのほかの社会貢献活動として、ペット殺処分低減への啓発活動、中央研究所での地域児童のための科学体験教室開催、動物への感謝の手紙コンテストなどを行っている。 

取材先 日本全薬工業
取材 2017/05/08
掲載 リーダーシップ2017/07
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki193.html

 


「しゃくなげ会」の研修風景(上)と
地域児童を招いて開かれる科学体験教室
 
【1407c05】発明発見の大切さを伝える  

■インスタントラーメンを発明した安藤百福翁(1910-2007)は、「IT全盛の時代になっても開発者にとって一番大切なのは想像力とそれをやり遂げる執念である」と言い、それを伝えるために食品の基礎研究や革新的商品開発の功労者に「安藤百福賞」を贈ることをを決めた。

■また、大阪府池田市に「インスタントラーメン記念館」(現カップヌードルミュージアム)を建設。次世代を担う子どもたちに「発明・発見」の大切さを伝えている。 

取材先 日清食品
取材 2021/05/24
掲載 リーダーシップ2021/06
探訪記
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki240.html



カップヌードルミュージアムの外観(上)。
来館者は自分だけのカップヌードルが作れる。
 
【1407c06】技術立国の伝統を子どもたちに伝える  


■島精機製作所の創業者、島正博さんが開発した全自動手袋編み機1号機は、高く評価されたにもかかわらず、思うように売れなかった。機構が複雑すぎ、加工技術が未熟で、2号機以後の品質が安定しなかったためだった。

■多額の開発投資の金利が払えず、明日が手形の締め切りという日の晩、資金調達を担当していた専務とともに、2人で自らの命を絶って死亡保険金を支払いに充てるしかないと話し合ったという。

■そのとき、見知らぬ男が訪ねてきて、机の上にポンと100万円の札束を置き、「これを用立ててくれ。払えるようになったら返してくれればいい」と言った。

■男は和歌山出身の大阪の事業家で、島氏の才能を高く評価していた和歌山県庁の経済部長が島さんの苦境を知って、くだんの事業家に力添えを頼んだということが後でわかった。

■こんなことがあって、島さんは自分自身よりも、一層に和歌山のため、世の中の人びとのために身を捧げようと考えるようになったという。その一環として、和歌山市内にフュージョンミュージアムを開き、子どもたちに創意くふうの大切さを伝えている。

取材先 島精機製作所・フュージョンミュージアム
取材 2021/06/04
掲載先 リーダーシップ 2021/07
探訪記 

http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki241.html





島精機製作所フュージョンミュージアムでは、技術立国の伝統を、子どもたちに伝えるために、ニットの仕組みを学び、自転車をこいで自分で作品を編み上げるなどの体験コーナーを設けている。
 
【1407c07】東大に安田講堂を寄付する   


■安田財閥の創始者、安田善次郎翁(1838-1921)は、月に1〜2回、自分が経営する安田銀行と国立第三銀行の全行員を集めて名士を招いて訓話を聞かせた。

■あるとき、東京帝大インド哲学科の村上専精(せんしょう)を招いて仏教講話を聴いたのがきっかけで、東京帝大仏教講座の基金として5万円を寄付した。

■さらに1921(大正10)年には、東大に講堂の寄付を申し出たが、その4カ月後に翁は暴漢に襲われ一命を落とす。

■翁の没後、2代目善次郎と安田財閥の司令塔の役割を担っていた安田保善社は、翁の意志を引き継ぎ、1923(大正12)年から建設を開始。1925(大正14)年に講堂が完成した。これが東大安田講堂である。

参考文献:北康利著「銀行王・安田善次郎」(新潮文庫、2013
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探訪記
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki251.html


東大安田講堂(提供・東大本部広報課)
 
【1407c08】宝塚歌劇を育てる    

■小林一三翁(18731957)は、箕面有馬電気軌道の沿線開発の一環として宝塚の観光開発に力を入れた。宝塚新温泉をつくり、温泉客の余興として宝塚唱隊を編成して唱歌を歌わせ、少女歌劇を演じさせた。さらに1919年に宝塚音楽歌劇学校をつくって初代校長となり、この学校の生徒と卒業生によって宝塚少女歌劇団を編成。花組、月組…などいくつかの組に分かれて交互に公演する体制を作った。

■宝塚歌劇について小林は「いい芝居を、安い料金で広く大衆に見せたい」と考えていた。少女歌劇の観劇料は温泉場の余興として当初無料だったが、歌劇場が整備された後も、一般の観劇料が5〜10円だった時代に50銭で歌劇を見せた。「清く、正しく、美しく」の理念を掲げ、さらに大きく花開かせるために、電鉄会社は歌劇団に多額の補助金を投入し続けた。

■当初は小林自身が脚本を書いたこともあったが、歌唱、舞踊、演出の専門家を次々投入。彼等を外遊させ、欧米の舞台芸術を取り入れてレベルアップを図った。こうした活動が世間からも高く評価され、毎日新聞の慈善事業として大阪市内で公演が行われるようになり、1918年からは帝国ホテルでの東京公演が始まり、さらに1934年には東京宝塚劇場が建てられて、宝塚歌劇は全国ブランドとなった。

■その後、東宝映画を設立。東宝は映画の製作と配給を行ったほか、喜劇、寄席、漫才、歌舞伎など多くの芸能の興行を主導し、宝塚歌劇とともに、この国の文化芸能の一翼を担う役割を果たしている。

取材先 公益財団法人 阪急文化財団
取材 2020/05/30
掲載 リーダーシップ2020/07
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki229.htm


パラダイス劇場で演じられた少女歌劇
(写真提供 阪急文化財団)
 
【1407c09】PHPを研究・発信する     

■戦争が終わった時、国土は焼野原となり、人心が荒廃し、国は頼れる状況ではなくなった。自分たちの力で繁栄を築かねばならないと考えた松下幸之助翁(1894-1989)は、繁栄による平和と幸福(Peace and Happines through Prosperity)の実現をめざし、1946年にPHP研究所を設立した。

■PHP研究所は、雑誌「PHP」を創刊。大阪府立中之島図書館で毎月1回の研究講座を開催するなど、各界の人々と意見交換し、講演や雑誌を通じて自身の考え方を発信した。

■この活動は1950年にいったん中止されたが、1961年に幸之助が松下電器社長を退任して会長に就任すると再開され、その後、幸之助は1978年には政治経済のリーダー育成をめざして「松下政経塾」を開塾。1982年にはノーベル賞並みの賞をつくるという政府の構想に賛同して「日本国際賞」の創設に尽力した。

取材先 松下幸之助歴史館
取材 2020/11/18
掲載 リーダーシップ2021/01
探訪記 

 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki235.html

 
雑誌「PHP」創刊号の表紙
 
【1407c10】3つの研究所・美術館・民芸館を建てる      

■倉敷紡績の経営者、大原孫三郎翁(1880-1943)は、地主は小作人たちに対して指導的役割を果たさねばならないと考えていた。1910年に孫三郎が作った「大原奨農会」は後に「農業研究所」となり、岡山県で桃やマスカットが栽培されるようになったのはこの研究所の功績といわれる。

■孫三郎はさらに、生活困窮者を生む社会の問題を根本から解決するために「大原社会問題研究所」を、労働問題を科学的に研究するために「労働科学研究所」を立ち上げ、専門家たちの研究を支援した。

■当初、倉敷紡績の収益のかなりの部分を注ぎこんで支援されたこれらの研究所は、いずれも形変えて現代まで続いている。

■孫三郎の名を有名にしたのが大原美術館と日本民芸館である。大原奨学生だった画家、児島虎次郎が蒐集したフランスの近代絵画を展示するために1930年に大原美術館を建て、さらに柳宗悦らの民芸運動を支援して1936年に東京駒場に日本民芸館を建てている。

取材先 公益財団法人有隣会語らい座大原本邸
参考文献 兼田麗子著「大原孫三郎・善意と戦略の経営者」
(中公文庫 2012P127〜、P165
掲載先 リーダーシップ 2021/10
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki244.html


大原美術館
 
 【1407c11】在所に惚れよ    


■伊藤忠商事と丸紅の創業者、伊藤忠兵衛翁(1842-1903)は「在所に惚れよ、仕事に惚れよ、女房に惚れよ」という言葉を残している。勤勉家であり、愛妻家であると同時に、地域、社会、国家に思いを馳せ、晩年は豊郷村の村長も務めた。

■こうした思いは後継者にも受け継がれた。伊藤忠兵衛の妻、八重夫人の妹の子で、「伊藤本店」の丁稚となり、後に丸紅商店の専務を務めた古川鉄次郎は、私財60万円、現在の価値にして10数億円を寄付して豊郷尋常小学校を建てた。

■忠兵衛の姉の子で「紅忠」の丁稚として入り、後に綿花取引や綿業界をリードした田附政次郎は、医学研究財団・田附興風会や、郷里五峰村の文化振興財団・五峰興風会、大阪帝塚山学院北野病院などを開設した。

■さらに、伊藤長兵衛商店に丁稚奉公して6代目伊藤長兵衛の養子となり、後に丸紅商店の初代社長となった9代目伊藤長兵衛は、私財と田畑の大部分を寄付して豊郷病院を建てている。

■そして、2代目忠兵衛が八重夫人の古希を記念して豊郷町の福利増進と教育・文化の向上のために3万円、現在のお金で6000万円を投じて1918年に設立した豊郷済美会(公益財団法人)は伊藤忠兵衛記念館を管理運営するほか、地域の小学校の冬の除雪機の購入費を負担したり、電子黒板を贈ったり、高校生への奨学金給付などを行っている。また、小学校では忠兵衛の事績を学び「三方よし」について意見を述べ合ったりしている。

取材先 伊藤忠兵衛記念館
取材 2019/08/23
掲載先 リーダーシップ2019/10
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki220.html
 

 
1937(昭和12)年、古川鉄次郎が私財
を投げ打って建設した豊郷小学校
 
 【1407c12】町並み保存に協力する    


大津市は、東海道五十三次の宿場町として賑わったまちだが、近年は市街地にも空き家が目立つようになっていた。市街地の町並保存という地域の方針に協力して、谷口工務店は、大津駅前の築90年の古民家を改修。ショールームと谷口工務店の大津支店を兼ねた「大津百町スタジオ」をオープンさせた。

■さらに大津市街のアーケード街で築100年の由緒ある町屋を取り壊すという話が持ち上がったとき、体験型宿泊施設を運営している(株)自遊人とタッグを組んで、谷口工務店がこの町屋を改修。(株)自遊人に運営を委ね、「近江屋」「茶屋」「鍵屋」「丸屋」「萬屋」「鈴屋」「糀屋」という7棟で構成される新感覚のホテル「講・大津百町」を完成させた。

取材先 谷口工務店
取材 2020/12/07
掲載 リーダーシップ2021/02
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki236.html

 
 


大津百町スタジオ(上)と
ホテル講・大津百町
 
 【1407c13】「箸タイム」の普及をめざす    

■店内装飾用のミラーを企画開発してきたコミーの小宮山栄社長は、本業の傍らで日本独自の「箸文化」の面白さに取りつかれ、「国際箸学会」という団体を立ち上げた。

■箸は2本の棒で、挟む、運ぶ、切る、混ぜる、はがす、包む、押さえる、裂く…いろんなことができる。そのことを競い合い、指先の器用さを鍛錬するために「箸タイム」というゲームをつくった。

■社員が毎日このゲームを競い合っているほか、地域の高齢者、子供たち、一部の外国人たちの間で愛好家が増えており、その同好会誌もつくっている。

取材先 コミー
取材 2019/11/07
掲載 リーダーシップ2020/01
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki223.html

 


「箸タイム」とそれをやってみせる小宮山さん
 
  【1407c14】川崎美術館をつくる   


■川崎造船所創業者の川崎正蔵翁(
1836-1912)は、造船所を株式会社化して松方幸次郎社長に経営をゆだねてから、古美術、東洋美術の蒐集に没頭。布引の私邸の隣に「長春閣(川崎美術館)」を建ててそれを展示し、ゆかりの人々に見せた。

20年後に欧米を渡り歩いた松方幸次郎翁(1866-1950)は、正蔵翁の影響もあってか、ロンドンとパリで1万点を超える美術品を購入。それらは現在、「松方コレクション」として、国立美術館、国立西洋美術館に収蔵展示されている。

取材先 よみがえる川崎美術館展(2022
掲載先 リーダーシップ 2023/02
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki256.html 

 
長春閣(川崎美術館)
 
  【1407c15】「京都賞」を創設する   


■稲盛和夫翁(1932-2022)の言葉に「財を散ずるに道あり」というのがある。成功者がその成功の土台の上に何を積み上げるかによって、その人の本当の値打ちがわかるという意味である。
■1984
(昭和59)年52歳の稲盛は自分の所有していた京セラの株と現金200億円を基金として財団法人稲盛財団を立ち上げ、「京都賞」を創設した。先端技術、基礎科学、精神科学・表現芸術(現在は思想・芸術)の3部門にノーベル賞と同額の各4500万円(現在では各1億円)の賞金を贈るというもので、その第1回の京都賞創設記念特別賞として「ノーベル財団」を表彰した。
■「何と清々しい金の使い方をするもんだ」その報に接した俳優の森繁久彌はそう語ったと言われる。

取材 京セラ・稲盛ライブラリー 2023/05/08

掲載先 リーダーシップ 2023/07
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki259.html

 
 
「京都賞」のメダル
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